食べたい欲望の我慢の仕方
人間不思議なもので、なんでも習慣化してしまうと
気持ちもカラダも欲していなくても、せずには居られない事というのが人には一つや二つあるものではないでしょうか?
本日は、その習慣化の食欲のお話。
食事が麺類だった場合には、どうしても最後の締めに一口は白米を食べたい、と言っていた今は亡き明治生まれのひいお婆さん。
トルコでベリーダンスの修行中、内弟子として住み込みで滞在していた師匠でもありベリーダンサーのsema yildizも、私は歳だから最後に一口はパンが食べたいの。と主食がパンではなかったとある日に言っていました。
※トルコでは、ピラウと言ってバターやオイルに塩を入れた日本で言えば炊き込みご飯、洋食で言えばピラフも主食として一般的に食べられています。味付けは様々ありますよ。
ここでこのように書いている私も、明治生まれと昭和一桁生まれに育てられたジジババっ子であった事や、原来米好きという事、自宅での食事の米食率の高いこともあってか、成人を迎える頃まではお米が一口は食べたい性質の人になっていました。
育った環境からの習慣化ではありますが、それから海外へフラフラと行くようになり、気がつけば〆にお米が欲しいという事も無くなりました。呑んだり、どんなお腹いっぱいでも〆の炭水化物はどうしても欲しいタイプでしたが、それも数年前に糖質オフを暫く続けた事で、〆の炭水化物を食べたい習慣と執着はやめた今でも無くなり、食べたいと思っても我慢が出来るように。
我慢の先は感謝へ変わる
何がきっかけかはそれぞれで、それを意図的に行う人、あえてする人それぞれと思いますが、案外幼い時からの習慣もかえる事は出来るものなのですね。
近頃では糖質オフから脂質オフへ移行して相変わらず何かを我慢し、いつでも食べたい時に食べたい物を食べる事を自分に許してはいないので、根性で我慢し続けたり我慢しすぎた結果そこまで我慢し続けて食べるそれは、食べれるだけありがたい!!という気持ちになりました。
感謝して生きる。だなんていう説教臭い話ではありません。
ただ、ただ、我慢し続けた結果、それを食べれる事の幸せと言ったら食べれるだけでありがたいのです。
そして、グルメに凝った味でなくてもなんでも美味しく感じる!というおまけもついてきます。※味音痴になる訳ではありませんよ
食べれない。が食べれるだけで幸せ。というのは単純な人間の仕組みでしょうか。
イスラム教のラマダンでも、日没まで飲食が出来ない事で食べれる、飲めるを感謝する。という目的も含まれているそうですよ。
何ヶ月も何年も何かをストイックに我慢する必要は無いですが、食事管理やウエイトコントロールをしたいな。という時にはほんの少しで良いのでしかりと我慢する時間を作ってみるのも、皆さんの思考の刺激になるかもしれません。
また、何かを我慢した後に通常のカロリーコントロールをした食事にすることで、カラダが刺激を受けて体重の変化も現れやすくなる傾向にあります。
EATING HABIT FOR BEST PERFORMANCE
ミネルワァベリーダンスでは食事と運動、そしてベリーダンスを通じて健康なカラダ作り、ボディメイクのきっかけや意識へとつながるアイディアや情報をお届け、共有しています。
日々の生活にちょっと取り入れられる事、ちょっと出来る事で無理なく続けられる事を。